再鑑賞『君たちはどう生きるか』の感想

同志们好,やつがです。
先日、父と一緒に例の『君たちはどう生きるか』を再鑑賞!
色々考察が捗るこの作品…深いッッッ!!
ザザッと気になる点を書き出してみたぞ。

ーー

諸々の考察

・継母/キリコねえやのお茶シーン
眞人は継母(ナツコ)から茶を供されるが「彼女を受け入れることはなかった」。
しかしキリコねえやの茶を出された際には「アオサギを受け入れた」。
分かりやすい対比シーンだ。

・「下の世界」について
ペリカンが下の世界を「地獄」、「呪われた海」と評する箇所がある。
世界各地の神話において、冥界と水には強い結びつきがある。
「地獄」かどうかはともかく、下の世界が何らかの冥界に繋がっているのは間違いない(影の住人やわらわらも居るので)。
ただし死後の罰を受ける場所ではなく、あくまで此岸/彼岸のような”異世界”のニュアンスが強いだろう。

・キリコねえやについて
おそらく実母失踪時にキリコも随行していたのだろう。ばあや連中の思い出話では指摘されていないが。
キリコが冒頭でひたすら行き渋っていたのは、過去に訪れたことがあることをわずかに(無意識下に)覚えていたからだったのかもしれない。
帰ってきた人間は下の世界についてすっかり忘れているらしいが、実は脳みその片隅に焼き付いているのでは。

・本作は「主人公の夢」説
『君たちはどう生きるか』の原著を途中まで読んでいた主人公。
石で頭を強く打った主人公。
……こんなことを言うと元も子もないが、この話は眞人が混濁した意識のもとに見た夢だったのでは?という説。
(私の父なんかはその説を強く推していたが)

残る謎たち

・石の”悪意”とは?
眞人のいう「石には悪意がある」。
悪意のないものが統べる下の世界は悪意のある石によって構築されている。
ここでいう”悪意”とは何を意味するのか?このあたりの説明がなかったので解釈の余地がある。

・学んだら死ぬ門
あれは結局何だったのか?
真っ先に思いつくのは地獄の門だろう。「この門をくぐる者は…」のアレだ。
しかし「学ぶ者は死ぬ」というのは謎すぎる。お前はネクロノミコンか何かか?
大叔父はソレを学んだから”死んだ”のか…うーん分からん。
作中では明確に示されていないが、今後パンフレットや監督インタビュー等で明かされる気がしてならない。

・「鳥」のモチーフ
本作ではひたすら「鳥」がモチーフとして描かれる。
アオサギ、インコ、ペリカン…
ここまで象徴的に描かれるのであれば何らかの意味があって然るべきだが、作品内で描写される限りではなかなか意図がつかめない。

・下の世界⇔現実で対象が異なる存在として描かれる謎
実母の少女時代はヒミ様、キリコばあやはキリコねえや、大叔父様は陛下…。
インコ・ペリカンは現実だと矮小で物言わぬ存在…。
しかしアオサギと眞人だけは同一性が保たれている。ここが分からない。
しかもなぜ下の世界では人間が異能力を使えるのか。逆に眞人は使えたのか。
ヒミ様の火炎魔術、キリコねえやの鞭、大叔父の魔法等々。
それぞれが下の世界での生活にすっかり馴染んでいるのも不思議なところ。

・影の住人(死者)、わらわらは結局何?
こいつらは脇役に留めておくには惜しい!
過去作を踏襲しつつも新しい世界観を生み出すことに成功している。
『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』のそれとはまた違う存在なんだろうか。

ーー

いや~~しかし、この作品は何度でも観たいし、何度でも観なければ分からない。
じっくり咀嚼して解読する芸術アニメーションだ。
上に挙げたポイント以外にも多くの謎や考察の余地がある。
できればDVD・パンフレットを入手したいのだが…。
今は気長に待つしかないな!

ところで、本作については巷で色々なレビューが出回っている。
はっきり言えば賛否両論だな。
これは繰り返し言いたいが、『君たちはどう生きるか』は大人向け・玄人向けの芸術アニメーションである。
animationであり、ANIMEではない……というかジャパニメーションだ。
宮崎駿の思想と技術の粋を集めた極めて高度な作品といえよう。
分かりやすくて大味な作品、ファミリー向けな作品を求める観客にはウケが悪いし、精神的/年齢的”お子ちゃま”には難しい。(英才教育にはもってこいかもね)
個人的にはジャパニメーション史に残る傑作だと考えているので、我こそはアニメマニア~と自負する方は必ずチェックせねばなるまい。

ーー

<2023年7月25日追記>

父の感想をちょいと追加。

・今までのジブリ作品に出てきたもの/出てこなかったもの
前者。ジブリ過去作にはなかったもの。それは「お母さん」だ。
というのも、脇役としての「お母さん」なら過去作にも大量に出てきた。
しかし物語の中枢となる重要キャラクターとしての「お母さん」は出てこなかった。
後者は「ヒロイン」である。
ヒミ様は主人公の実母の少女時代であり、キリコねえやもドーラのような”導いてくれる存在”でしかない。当然ナツコさんもヒロインではない。
この作品は主人公とくっつく女が一切出てこないのだ。

・映画は徹底した主人公目線
冒頭から揚々と登場するばあや連中。異様にグロテスク(というか漫画的)に描かれていないか?
最初に登場したナツコさん、継母ながら非常に艶っぽく女らしく描かれている。
——これらはすべて主人公目線である。
都会から疎開してきた眞人にとり、田舎の年寄りはあまりにも不思議・不気味に見えたのだろう。
実母が死んですぐに再婚した父。そんな父を自分や実母から”奪った”ナツコは、当初眞人には「母親」ではなく「女」として映ったのかもしれない。
そういった主人公の主観(認知のゆがみ)として描かれたのが作品映像のそれである。

・生と死
太平洋戦争、実母の死、継母の妊娠と弟の誕生、父の軍需産業、下の世界の住人とわらわら、黄金の門、ペリカンやインコ、大叔父の支える世界…。
本作ではひたすら生と死のモチーフが描かれ続ける。
近代以降の戦争の特徴である「大量殺戮」、多くの命が無事生れるまでに死んでしまいわずかに残ったものが芽吹く「誕生の困難さ」。世代交代と命の連鎖と必然的な死が手法を変えて何度も登場するのである。

以上を踏まえ、本作は「母子」、「生と死」という二重テーマを有した作品といえよう。
…というのが父の感想でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です